鞠躬尽力。

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鞠躬尽力(きくきゅう)、死して後巳(や)まん。228年諸葛亮公明が出師の表で劉禅に奉じた一文です。鞠は毬のこと。体を毬のように丸くして死ぬまで全力を尽くす、という事である。吉田松陰は野山獄に投じられた際に囚人と勉強する中でこの一文を紹介し、この言葉こそ道を学ぶ者の根源である。と述べている。松陰は獄中の中で明日にも死罪になる身にも関わらず牢番に書物を貸して下さいと懇願したそうです。牢番はにべもなく、どのみち死罪になるのだから檻の中で勉強しても意味ないだろう。と返すが「ごもっとも、それは覚悟しているが、お仕置きになるまでまだ時間がある。それまではやはり1日の仕事をしなければならない。人間は生きていれば1日の食い物を食らい、1日の衣を着、1日の家に住む。それであるから1日の学問、1日の事業に励んで天地万物の御恩に奉じなければならない。この儀が納得出来たら是非書物を貸してもらいたい。」牢番は感心し松陰に本を貸した。松陰は「金子君、今日この時の読書こそ本物の学問だ」といったという。牢に入って刑に処せられる前になっても自己修養、勉強を止めなかった。人間はいつか死ぬ、どうせ死ぬのだ。という分かり切った結論を前にしてどう考えるのか。最後の一瞬まで最善を尽くす。考えれさせられるエピソードです。知行合一で頑張って参ります。

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